IRP Rider

ほとんどゆっくり、時に速く

北小松〜賤ヶ岳〜敦賀〜小浜〜朽木

朝7時スタートの予定が疲れで起きられず。

うだうだとして10時頃にスタート。

 

まずは北小松を出て海津大崎を目指す。

朽木方面から風が吹いてきている。気持ち斜め前方から。

このままであれば帰りはやや追い風か。

 

海津大崎までは50kmほど。

ここのコンビニで少しばかり補給。

職場にボトル忘れてきてノーボトルなのが辛い。

 

海津大崎は桜の名所だが、それは完全に時期を逸している。

 

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それでも奥琵琶湖の景色や雰囲気は良い。

何となく十和田湖のような雰囲気。

 

そこから賤ヶ岳へ入る。

 

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賤ヶ岳のトンネルを回避するために少し上る。

そこからの景色も良し。

 

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そこにある隧道からの1枚。

 

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賤ヶ岳はリフトで山頂まで上がれるのだが、土砂崩れで運休中らしい。

そしてかつての合戦場もいまや恋人の聖地とか・・・

 

それから賤ヶ岳を下りて余呉湖畔へ移動。

 

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写真左手の山が賤ヶ岳。

そして麓に余呉湖があり、その周りには平地が広がる。

賤ヶ岳の戦いと言えど主戦場はこの余呉湖畔。

今立つこの地でまさに合戦が繰り広げたというわけだ。

 

敗れた柴田勝家軍はここから北上して越前へ落ち延びる。

その際に毛受兄弟という勝家の小姓が囮となって討ち死にしている。

 

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余呉湖から1kmほど北へ行ったところに兄弟の墓がある。

 

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墓の周りは毛受の森いう静かな林となっていた。

命を投げ打って逃した大将も数日後には自害するというのは何とも悲しい出来事。

 

さらに国道365号を北上。

 

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ここ柳ヶ瀬から刀根へと抜ける隧道がある。

この柳ヶ瀬はこれから向かう金ヶ崎城を舞台とした合戦の際に織田から離反した浅井軍が進軍したルートでもあり、浅井が滅亡する間際に援軍として駆けつけた朝倉軍が撤退する経路でもあり、この先に賤ヶ岳の戦いの際に柴田勝家が本陣を置いたとされる玄蕃尾城もあるという要所。

いろいろな思いを抱きながら走る。

 

そして柳ヶ瀬から刀根へと抜ける隧道は1.3kmの真っ暗なトンネル。

トンネル内、明かりが全くなく物凄く怖かった。

その時は気付かず通行してしまったが、後で調べると自転車通行不可であり心霊スポットでそれなりに有名らしい・・・すみません。

 

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ここから2km上ると玄蕃尾城跡があるようだが、最終的に登山の必要があるようなのでパス。

ロードで巡ると城跡関連はシューズの都合上近付きにくい場所が多いのが難点。

本気で行こうと思えばMTB用のシューズとペダルにしておく必要あり。

 

更に進んでようやく敦賀に出る。

次の目的地は金ヶ崎城跡・・・の前に信長が本陣を置いた妙顕寺

 

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有名な金ヶ崎の退き口の直前に信長が陣を置いていた重要な場所の割に、半分消えかけたような案内板しかないという・・・

 

その妙顕寺から攻めていた天筒山城金ヶ崎城は目と鼻の先。

信長公記』によると朝倉軍的にはより高いところにある天筒山城が先に落城し、金ヶ崎城も撤退を余儀なくされたとか。

 

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金ヶ崎城の本丸が建っていたとされる場所からは若狭湾が一望できる。

 

しかしほぼ時を同じくして信長に浅井長政離反の一報。

このままでは南北から挟撃の憂き目に遭うということで信長軍は撤退を開始。

関峠を越えて小浜に抜ける道を通る。

 

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その道すがら、全然関係ないが大谷吉継の供養塔があるお寺があったので寄り道。

 

関峠を越えて少し海岸沿いを走り、それから南下して朽木方面へ向かう鯖街道に入る。

 

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鯖街道の熊川宿には、金ヶ崎城攻めの往路で徳川家康が泊まったという得法寺がある。

 

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数百メートルの区間ではあるがかつての宿場町の趣が残っている。

熊川宿を出て少し行ったところからトンネルを回避すべく旧道水坂峠へ。

そして京都まで続く国道367号へ入る。

この辺りでは既に疲労困憊。

ちょっとした上りが辛い辛い。

 

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朽木の集落に入る少し手前に信長の隠れ岩というのがある。

朽木を通り抜けるために領主朽木元綱に許可を求める際、敵意が無いか確認取れるまでここに隠れてたそうな。

ほんの少しの手勢のみ引き連れて逃げてただろうから戦々恐々だったであろう。

 

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結局、敵意が無かった朽木元綱にもてなされ圓満堂に宿泊したとか。

その圓満堂は現存しないようだがこの様な説明板が置いてあった。

 

ここまで来れば残りは20kmほど。

そして予想通り追い風。

最後の最後が楽で助かった。

 

今回は「賤ヶ岳の戦い」「金ヶ崎の退き口」「志賀の陣」の3つについて見て回りたかったのだが、スタートが遅れたので「志賀の陣」はカットとなった。

来月また来るのでその時こそ見に行こう。