今期初宮地
大阪から戻って以来初めての自転車。
丸々8日ほど空いてしまった。
軽めに西目屋でも・・・と思い農道を走る。
林檎の花が綺麗に咲いている。
ふと、宮地全力で上ったらどれくらいだろ?と思い、現状の調子を見るつもりで宮地全力走に変更。
序盤の勾配きつめの区間、追い風に助けられた感あり。
トータル的にトレーニング不足だし、この領域の強度も積めていないので中盤以降頭打ち。
ぎりぎり6分は切ったが風向きによるもの。
思ったよりは悪くないという程度か。
全力走がきつすぎて少し気持ち悪くなる。
岩木山神社で休憩して帰ろうかと思ったが、少し足を伸ばして西目屋まで。
帰り道、クリート位置を弄ってみたくなりQファクターを狭めてみる。
そして圧倒的に踏めなくなりすぐ戻す。
セッティング変えても結局元に戻る。
夜は自宅でウェイト。
ベンチプレス
42.5kg × 6reps × 5sets
スクワット
55.0kg × 6reps × 2sets
57.5kg × 6reps × 2sets
60.0kg × 6reps × 1sets
70.0kg × 6reps × 1sets
50.0kg × 6reps × 2sets
55.0kg × 6reps × 2sets
60.0kg × 6reps × 1sets
どのくらいのウェイトが良いか迷子中。
自宅トレーニングルーム
これまでジムに通っていたのだが、なかなか行けてないのと月謝払って順番待ちとか待ってる人に気を遣ってトレーニングしてるのがアホらしくなり、自宅の空き部屋にとりあえずの一式を揃えることにした。
重量はシャフト込みでトータル100kg
まずはこれだけあれば一通りできるだろうと・・・
一式揃えて5万ちょいだったので10ヶ月ジムに行くくらいの費用。
それで思いたった時にすぐできるし、好きなだけインターバルも取れるというストレスフリーな環境の出来上がり。
頑張ろ
GW
弘前に帰ってきてから溜まっていた仕事やあれやこれやで29日からずっと自転車に乗らず。
6日には岩手日報杯が控えているのだが、トレーニング不足が酷すぎて無理じゃないかと思い始める。
当初のプランでは5日に家族で盛岡入りして、6日午前に私はレース、家族はブラブラ、その後合流して動物園・・・という流れだった。
一応宿も取ってあったので家族で盛岡に入る。
どこもかしこも人人人・・・当たり前か。
盛岡ICの所のイオンに寄ったら非常に疲れた。
安田大サーカスのライブやってたけど面白くはなかった。
ホテルにチェックインして散策。
息子が疲れて駄々をこね出す。
嫁さんが見てくれてる間にささっと一杯。
ホッパーズというお店。
また来たい。
駅地下のベアレン行こうと思ったが満席にて終了。
6日はDNS。
午前中から息子を動物園に連れて行く。
子どもより大人の方が動物に興味あり。
息子は割と早い段階で飽きていた。
北小松〜賤ヶ岳〜敦賀〜小浜〜朽木
朝7時スタートの予定が疲れで起きられず。
うだうだとして10時頃にスタート。
まずは北小松を出て海津大崎を目指す。
朽木方面から風が吹いてきている。気持ち斜め前方から。
このままであれば帰りはやや追い風か。
海津大崎までは50kmほど。
ここのコンビニで少しばかり補給。
職場にボトル忘れてきてノーボトルなのが辛い。
海津大崎は桜の名所だが、それは完全に時期を逸している。
それでも奥琵琶湖の景色や雰囲気は良い。
何となく十和田湖のような雰囲気。
そこから賤ヶ岳へ入る。
賤ヶ岳のトンネルを回避するために少し上る。
そこからの景色も良し。
そこにある隧道からの1枚。
賤ヶ岳はリフトで山頂まで上がれるのだが、土砂崩れで運休中らしい。
そしてかつての合戦場もいまや恋人の聖地とか・・・
それから賤ヶ岳を下りて余呉湖畔へ移動。
写真左手の山が賤ヶ岳。
そして麓に余呉湖があり、その周りには平地が広がる。
今立つこの地でまさに合戦が繰り広げたというわけだ。
敗れた柴田勝家軍はここから北上して越前へ落ち延びる。
その際に毛受兄弟という勝家の小姓が囮となって討ち死にしている。
余呉湖から1kmほど北へ行ったところに兄弟の墓がある。
墓の周りは毛受の森いう静かな林となっていた。
命を投げ打って逃した大将も数日後には自害するというのは何とも悲しい出来事。
さらに国道365号を北上。
ここ柳ヶ瀬から刀根へと抜ける隧道がある。
この柳ヶ瀬はこれから向かう金ヶ崎城を舞台とした合戦の際に織田から離反した浅井軍が進軍したルートでもあり、浅井が滅亡する間際に援軍として駆けつけた朝倉軍が撤退する経路でもあり、この先に賤ヶ岳の戦いの際に柴田勝家が本陣を置いたとされる玄蕃尾城もあるという要所。
いろいろな思いを抱きながら走る。
そして柳ヶ瀬から刀根へと抜ける隧道は1.3kmの真っ暗なトンネル。
トンネル内、明かりが全くなく物凄く怖かった。
その時は気付かず通行してしまったが、後で調べると自転車通行不可であり心霊スポットでそれなりに有名らしい・・・すみません。
ここから2km上ると玄蕃尾城跡があるようだが、最終的に登山の必要があるようなのでパス。
ロードで巡ると城跡関連はシューズの都合上近付きにくい場所が多いのが難点。
本気で行こうと思えばMTB用のシューズとペダルにしておく必要あり。
更に進んでようやく敦賀に出る。
次の目的地は金ヶ崎城跡・・・の前に信長が本陣を置いた妙顕寺。
有名な金ヶ崎の退き口の直前に信長が陣を置いていた重要な場所の割に、半分消えかけたような案内板しかないという・・・
『信長公記』によると朝倉軍的にはより高いところにある天筒山城が先に落城し、金ヶ崎城も撤退を余儀なくされたとか。
金ヶ崎城の本丸が建っていたとされる場所からは若狭湾が一望できる。
しかしほぼ時を同じくして信長に浅井長政離反の一報。
このままでは南北から挟撃の憂き目に遭うということで信長軍は撤退を開始。
関峠を越えて小浜に抜ける道を通る。
その道すがら、全然関係ないが大谷吉継の供養塔があるお寺があったので寄り道。
関峠を越えて少し海岸沿いを走り、それから南下して朽木方面へ向かう鯖街道に入る。
鯖街道の熊川宿には、金ヶ崎城攻めの往路で徳川家康が泊まったという得法寺がある。
数百メートルの区間ではあるがかつての宿場町の趣が残っている。
熊川宿を出て少し行ったところからトンネルを回避すべく旧道水坂峠へ。
そして京都まで続く国道367号へ入る。
この辺りでは既に疲労困憊。
ちょっとした上りが辛い辛い。
朽木の集落に入る少し手前に信長の隠れ岩というのがある。
朽木を通り抜けるために領主朽木元綱に許可を求める際、敵意が無いか確認取れるまでここに隠れてたそうな。
ほんの少しの手勢のみ引き連れて逃げてただろうから戦々恐々だったであろう。
結局、敵意が無かった朽木元綱にもてなされ圓満堂に宿泊したとか。
その圓満堂は現存しないようだがこの様な説明板が置いてあった。
ここまで来れば残りは20kmほど。
そして予想通り追い風。
最後の最後が楽で助かった。
今回は「賤ヶ岳の戦い」「金ヶ崎の退き口」「志賀の陣」の3つについて見て回りたかったのだが、スタートが遅れたので「志賀の陣」はカットとなった。
来月また来るのでその時こそ見に行こう。